江戸時代に〝解説書〟もあった
江戸を中心に町人文化が大きく花開いた「文化文政時代」。そんな文化10年代(1810年代)に刊行されたのが『江戸神仏 願懸重宝記』です。「重宝記」は、江戸時代以来昭和に至るまで刊行・承継されてきた、庶民の日常生活に関するさまざまなジャンルの実用書。いわば「暮らしの百科事典」です。
この「願懸」版(以下、単に「重宝記」と略称)では、江戸の寺社など31ケ所を対象に、場所・願掛け(ご利益)・願掛け手段・成就後の御礼(奉納)といった内容を解説しています。今の墨田区内のスポットもいくつか含まれますが、長い歳月の中で、なくなったり場所が変わったところも少なくありません。
今日は、場所の変遷のタイプが異なる3つのスポットをさんぽしてみましょう。
まずは、「江戸時代と変わらない」スポットへ
墨田区太平1丁目にある「法恩寺」に来ました。地名「太平」は、当寺建立ゆかりの偉人(太田道灌公)と当寺の号(平河山)にちなんでいる。そんな説がありましたね。
▲蔵前橋通りから続く長い参道沿いに、当寺に属する小院(塔頭・塔中=たっちゅう)が建ち並んでいます。最盛期には20もの塔頭がありましたが、現在残るのは4院です。
上の写真で参道の右側奥のほうにある「千栄院」(せんえいいん)が、最初のスポットです。
▲「錦糸町エリアマップ」(墨田区/一般社団法人墨田区観光協会)では、「明応7(1498)年に創建された法恩寺の塔頭で、痰病守護の道晴様と呼ばれる神を祀り、「たんぼとけ霊場」として知られる」と解説されています。
「重宝記」には、「たんせきにくるしむもの此ほとけに平癒をねがふに其しるしすみやかにあり、・・・」とあります。
▲参道と反対側の入口横には、「たんぼとけ」の石碑も建っています。
周辺エリアは、関東大震災(1923年)や東京大空襲(1945年)の被害も大きかったところ。当院もその後に再建されていますが、江戸時代以来同じところで信仰が続いているスポットです。
次は、「転出してしまった」スポットへ
続いて訪れたのは、地下鉄都営浅草線・本所吾妻橋駅のすぐ近くです。
▲「浅草通り」に面して大きなマンションなどが建ち並ぶエリア。建物の足元には飲食店ほかの店舗が多数続いています。
「重宝記」には、「本所中の郷業平橋西詰南蔵院に石の地蔵尊あり、・・・」と記され、地蔵尊を縄でぐるぐる巻きにして願掛けをする儀式(?)のことが説明されています。また、江戸時代の地図には「南蔵院」の大きな敷地が確認できます。
古地図と現在の地図を重ね合わせるように対比できるソフトやアプリ。その中で「大江戸今昔めぐり」アプリが便利です。エリアを選んでから画面下のボタンを左(江戸)・右(現代)の間でスライドすると、今昔の対比ができます。現代の画面は、地図と航空写真の切り替えも可能です。
[参考資料]
大江戸今昔めぐり製作委員会「大江戸今昔めぐり」
https://www.edomap.jp/customer_p.html
こちらのアプリで、南蔵院の敷地の今昔対比をしてみました。
▲今の北十間川と「大横川親水公園」が、江戸時代には大きな水面としてつながっていたことも分かります。
同院のホームページには、南町奉行大岡越前守忠相の名裁き(泥棒を見て見ぬふりしたという罪状(!)で地蔵を捕縛して市中引き回し。この騒ぎをきっかけにして、盗賊を一網打尽にした)が面白く解説されています。跡地の浅草通り沿い歩道上には、同内容の解説板が立てられていました。
[参考資料]
南蔵院ホームページ「しばられ地蔵とは」
https://shibararejizo.or.jp/shibararejizo.htm
「しばられ地蔵」の姿とは?
南蔵院は、関東大震災(1923年)で被災したため1927年に現在地(葛飾区東水元2-28-25)へ移転開始。1968年に地蔵堂が建立されました。後日訪れた「移転先」の様子をご案内しておきます。
▲JR常磐線・金町駅の北側(徒歩15分くらい)、大きな水辺(遊水地)に沿った「水元公園」のすぐ近くにあります。写真右端辺り・黒い屋根の建物が地蔵堂で、その左側・青銅色の屋根の小堂に「しばられ地蔵」が鎮座しています。
▲地蔵尊を縄でぐるぐる巻き。そんな〝奇習〟も、大岡越前守の名裁きの故事と重ね合わせると、何とも味わい深い広がりを感じます。毎年12月31日の深夜に縄解き供養が行われ、年が改まったところで新年の一番縄が結ばれます。この間、「結びだるま市」も開かれます。
先ほどの千栄院は、震災や戦災を乗り越えて同じスポットにとどまりましたが、南蔵院は残念ながら移転を余儀なくされたわけです。
「神のカフェ」(?)で、ひと休み
3つ目のスポットに行く前に、ひと休みしましょう。やってきたのは、東武スカイツリーラインの高架下に広がる施設群「TOKYO mizumachi(東京ミズマチ)」の一角です。
▲赤色のサイン「DEUS EX MACHINA」は、ラテン語で「マシーンから現れた神」という意味。店名には「ASAKUSA」が加わり「デウス エクス マキナ アサクサ」。2006年オーストラリアで誕生した、バイクや各種ボード(サーフィン・スケートなど)中心のアパレルブランドのカフェ等です。
▲隅田公園側と北十間川側の両方から出入りできる店内は、明るくておしゃれな雰囲気。カフェコーナーの反対側には、アパレルショップコーナーも併設されています。
▲カプチーノ・ホット(600円)とチョコレートクッキー(400円)をいただきました。カップ表面のデザイン紋様も見事です。
今度は、「転入してきた」スポットへ
次は、「見番通り」沿いに「弘福寺」へ。この連載【第17回】の「隅田川七福神めぐり」で、また【第28回】では森鷗外の最初の埋葬地として、それぞれ訪れました。こちらの一角にも、「重宝記」ゆかりのスポットがあります。
▲黄檗宗の古刹で、なかなか凝った外観。こちらの七福神は布袋尊で、七福神の中で唯一実在した中国唐時代の禅僧です。
山門を入って本堂の手前、向かって右側に小さな祠があり「咳の爺婆尊」の石像が祀られています。
▲小さな祠です。「吾妻橋・押上エリアマップ」(墨田区/一般社団法人墨田区観光協会)では、「境内の咳の爺婆尊は口や喉の病に効くとされ、参拝者が絶えない」と解説されています。中をアップしてみましょう。
▲婆像(左)と爺像(右)は、かなり大きさが違います。快復時には、煎り豆と番茶を御礼として供える風習とのことです。
〝さんぽのバイブル〟ともいわれる、永井荷風さんの随筆『日和下駄』(1915年)。その中で、庶民信仰の祠が町中の裏通りなどにたくさんあると言及。「向島の弘福寺にある「石の媼様(ばあさま)」には子供の百日咳を祈って煎豆を供えるとか聞いている」と記述しています。
若き日にアメリカやフランスで長く暮らした荷風さん。西洋的合理主義の視点からなのか、こうした(迷信めいた)民間信仰の効用に肯定的ではありません。しかし、「いつも限りなく私の心を慰める」と愛着の心情も隠しません。〝洋才和魂〟のようなスタンスが感じられて面白いですね。
「木挽町つきぢ稲葉公の御屋敷に年古き石にて老婆のかたちを作りなしたる石像あり。諸人たんせきのうれひをのがれんことを願かけするに、すみやかに治する」~「重宝記」の一節です。もともとは「婆像」のみで、築地木挽町(今の築地市場周辺)の大名屋敷内にあったわけです。
1673年開山の弘福寺。当時の小田原藩主・稲葉正則(春日局の孫)がその開基です。明治期に稲葉家の菩提寺が弘福寺に移された縁で、像も当地に移転してきた模様。なお「爺像」は築地時代に後から設置されたもので、もともとは婆像と不仲だったようです。(参考文献:柳田国男著『日本の伝説』)
▲寺務受付で、咳の爺婆尊にちなんだ「せき止飴」(300円)をわけてもらいました。
先ほどの「南蔵院(跡)」と真逆で、別のスポットにあったものがすみだの地に転入してきたわけですね。
さんぽの仕上げは、「南蔵院の跡地」で!
南蔵院の跡地エリアに戻ってきました。浅草通り沿い歩道上に立てられた跡地解説板のちょうど目の前のお店「ぺん坊」に入りましょう。
▲坦々麺が主体ですが、「麺と肴」のフレーズの通り晩酌も楽しめます。虎ノ門にあった人気店「坦(担)々麺ぺんぺん」が2023年11月に惜しまれつつ閉店。当店はその系譜で、今年2025年3月にオープンしました。
▲4人掛けテーブル席3ブロックとカウンター6席の小ぢんまりとした店内。シンプルで清潔な雰囲気です。まずは、「青島ビール」(550円)で今日のさんぽにお疲れさま!
▲つまみは、「おつまみ3点盛り」(700円)を。上から時計回りに「あつあつゆで茶豆」「豚もも肉のあたりめ」「おつまみニラキムチ」。皿に直盛りされているチャーシュー2切れは、嬉しいサービス品。3点はそれぞれ単品メニューもありますが、つまみに適量でコスパよしのひと皿でした。
▲次のお酒は、紹興酒(1合、550円)を常温で。
▲シメの食事は、名物「汁なし坦(担)々麺」(950円)に。食材すべて「無添加」「化学調味料不使用」は、前店以来の伝統。適度な舌のしびれ感や山椒の香りが、とても印象に残りました。
店を出てすぐ近く、夕暮れ時の業平橋には、かなりの人たちが。東京スカイツリー夜景写真の人気撮影スポットの1つのようでした。
▲カラーバリエーションを絶えず変化させながら光り輝く姿は、すみだの〝現代のパワースポット〟のようにも思えました。
今日のさんぽ を振り返って
幕末・明治期の社会体制の大転換、関東大震災、太平洋戦争の空襲など長い歴史の中で、「重宝記」に登場するスポットですみだに関わりのあるところにも、さまざまな変遷があることを実感できました。
ところで、東京スカイツリーは、関東平野やその周辺という広い視点で、パワースポットの要衝に位置するようです。
[参考資料]
Walkerplus(ウォーカープラス)「東京スカイツリー(R)は都内屈指のパワースポット!地上350メートルで願掛けができるモニュメント新登場」
https://www.walkerplus.com/article/1010234/
上記の記事内では、東京スカイツリーが「レイライン」と「龍脈」、2つのパワーラインの結節点に立地していることが詳しく解説されています。
▲Walkerplus(ウォーカープラス)「東京スカイツリー(R)は都内屈指のパワースポット!地上350メートルで願掛けができるモニュメント新登場」から引用。
永井荷風さんも、効用のほどは疑いながらも民間信仰として愛着心を持っていた町中の「パワースポット」。あまり重くは背負わずに、さんぽしながら巡ってみるのも1つのやり方かもしれませんね。では、皆さんまたお会いしましょう・・・。