「御厩川岸」からスタート
そのスポットの作品名は、「御厩川岸(おんまやかし)より両国橋夕陽見」(以下、適宜「両国橋夕陽見」と略称します)。視線の〝元と先〟、そして時間帯がタイトルに集約されています。過去2回と同様に、まずは解説板を見てみましょう。
場所は、JR両国駅から隅田川沿いに北に向かう「国技館通り」と隅田川の間。公園の一角です。
▲過去2回と同じシリーズの解説板。やはり(材質のため)反射して見づらいので、解説板に記載されたQRコードから読み取れる解説内容をご覧ください。
葛飾北斎「御厩川岸より両国橋夕陽見」解説板掲載の解説サイト.png)
御厩川岸は、「江戸切絵図」などでもその場所が確認できます。今の厩橋の辺りに渡し場があり、「富士見の渡し」と呼ばれていました。
この構図も、実際とはかなり異なる(?)
前回【第24回】でも触れましたが、北斎の作品には「誇張」・「デフォルメ」・「切り貼り」などで構図されたものが少なくない。新千円札の裏面「神奈川沖波裏」、そして前回の「隅田川関屋の里」もそうだと思われます。
では、今回はどうでしょうか。先程の解説板の辺りの隅田川や対岸の今の様子を見てみましょう。
▲午後の陽光が川面に反射。かつては富士山が見えていたかもしれない方角には、ビル等が立ち並んでいます。写真に見えるのは「蔵前橋」。今の「両国橋」は、ずっと左側(南西側)約1kmも下流にあります。
江戸時代の両国橋はさらに少し下流に架かっていましたので、今回の「両国橋夕陽見」も、渡し場と両国橋の間を大胆にカットした構図のように感じます。そして、岸辺の波の描写に使われている絵の具の青色の鮮やかさがとても印象的です。
実はこの絵の具(顔料)、「ベロ藍(あい)」といわれ、18世紀初頭に今のドイツ・ベルリンで開発された合成顔料です。日本には18世紀半ばに輸入されて、広重や北斎ほか多くの浮世絵師に珍重・愛用されました。[ベルリンブルー(藍色)⇒ ベルリン藍 ⇒ ベロ藍]というわけです。
【第23回】で、「神奈川沖波裏」が(江戸期以来)海外に渡り「グレートウエーブ」と称して敬愛されているとご案内しました。その大波や背景の富士山にも多く用いられた鮮やかな青色。それは、海外から来た「ベルリンブルー」顔料がもたらしていたのです。
鎖国のため交易や交流が限られた中で、当時のヨーロッパと日本との間に、芸術や技術の大きな連鎖や相互作用があった。そんなダイナミックな流れを実感できました。
次は、かつて緑青色のドームがあったスポットへ
「両国橋夕陽見」の解説板から国技館通りを少し南下するとすぐに「刀剣博物館」に到着しました。
▲国技館通りに面した正面出入口周辺。直線的でシャープな印象です。2018年1月に移転開館(代々木・初代エリアより)しています。
▲隣接する「旧安田庭園」側からの眺め。丸みを帯びた外壁や屋根によって、正面出入口側とはかなり印象が変わります。
中に入ってみましょう。
▲メインの展示室は3階です。いろいろな刀を見ていると、大きさ・形状・装飾などの違いがよく分かります。ひと括りに「刀剣」といわれますが、その違いとは? 片側だけに刃があるものが「刀」で、両刃だと「剣」。ざっくりというと、こんな違いのようです。
▲1階には、刀剣に関するさまざまな情報を展示や映像で発信しているコーナーがあります。その一角には、実物の刀をケース越しに体験できるボックスも。実際に手にしてみると、ずっしりとした重さと質感でした。
「旧安田庭園」を眺めながら、ひと休み
1階の一角には、カフェ(休憩コーナーで、飲食の有人サービスなし)もあります。ひと休みしていきましょう。
▲ゆったりと配置されたテーブルと椅子。窓の外には、隣接する「旧安田庭園」の緑が間近に見えます。カフェ内の自動販売機でほうじ茶(110円)を。1階のショップで購入した「ポン煎餅(醤油味)」(8枚入り540円)と一緒にいただきました。
カフェの片隅には、かつてこの地にあった「両国公会堂」建物の模型や次の写真が展示されていました。
▲1926年に竣工し、2015年の解体までこの地にあった両国公会堂。緑青色のドーム屋根とラウンドした外壁が特徴的です。かつての姿を覚えていたり、建物内に足を運んだ記憶がある。そんな方々も、少なくないでしょう。
刀剣博物館を出て、旧安田庭園に入ってみましょう。
「旧」は、寄付してくれた人にちなんでいる
庭園の出入口は2ヶ所あります。
▲両国駅に近い「西門」。対角線状に反対側の「東門」とは、閉門時間が異なります。この地は、江戸時代に大名下屋敷の庭園として築造。中央の池には隅田川の水を引き込み、潮の干満によって水位変化を起こして池周辺の景観変化を楽しめる「潮入り」庭園でした。
明治時代になって、別の旧藩主邸宅を経て安田財閥の創始者・初代安田善次郎の所有となりました。その死後、1922年に故人の遺志により東京市(当時)に寄付されたことから、安田の名を付した庭園となっています。庭園中心の池は、かたどった字の形にちなんで「心字池」です。
▲心字池は今では隅田川とつながっていませんが、「潮入り」を人工的に再現中。とはいえ穏やかな水面には、周囲の建物がシンメトリカルに美しく映ります。写真中央最下部には、置物のような鳥の姿が。実は、生きたアオサギです。
▲心字池から東北の方角には、病院建物の間から東京スカイツリーの姿が。写真左端の刀剣博物館の丸みを帯びた外観は、かつての両国公会堂の姿への〝オマージュ〟に感じられます。
人びとの憩いやうるおいの空間となる庭園や、地域のさまざまな集いや催しに役立つ公会堂を建てるスペースを提供。明治・大正期に活躍した財閥オーナーが、すみだの地にもたらしてくれた大きな貢献を再認識することができました。
現代の「両国橋夕陽見」を
夕陽もだいぶ傾いてきました。少し離れた両国橋近くに行ってみましょう。周辺の護岸には、江戸時代以降の隅田川の様子に関する絵画などを拡大再現したものが掲示されています。
▲木造として最後に架け替えられた(1875年)両国橋の姿(絵図右上部の囲み内は、別の鉄橋)。その形状は、北斎「両国橋夕陽見」に見られたような円弧形ではなく、直線的な西洋型となっています。
永井荷風さんのヒット作・中編小説『すみだ川』(1909年)。長い海外生活(1903年9月~1908年7月)から帰国した翌年の発刊ですが、小説で描かれた時代は出国直前の1902~1903年です。
外遊前の姿に比して帰国後の東京の街のさま変わりについて、後年の重版時の序文「すみだ川序」で荷風さんはこう述べています。~「東京市中の街路は到る処旧観を失っていた。以前木造であった永代と両国との二橋は鉄のつり橋にかえられたのみならず橋の位置も変りまたその両岸の街路も著しく変っていた」。
上記絵画の最後の木造・両国橋、まさに外遊前の荷風さんが眺めたものです。そして、初代の鉄橋・両国橋の完成は1904年。外遊での長い不在期間をちょうど挟んで、東京の街の様子が大きく変わってしまった。そのことへの驚きや一種の嘆きが、両国橋を眺める荷風さんの視線から偲ばれます。
▲夕暮れ時の両国橋。橋の手前には、下流に向かう水上バス最終便の姿が。北斎「両国橋夕陽見」の渡し船(日没直前なので最終便でしょう)を現在に置き換えたような構図かも。
さんぽの仕上げは、もう1つの「後継」店へ
隅田川の夕暮れに見とれていたら、あっという間に暗くなってきました。JR両国駅の北側エリアから北斎通りに出て、東側にしばらく歩くと三つ目通りとの交差点。【第22回】で訪れた「DSG STAND」のあるところです。
今日は、交差点を右折して南側へ。三つ目通り沿いですが少し奥まった位置に建物があるマンションに到着。その1階エントランスの横が、目的地のお店「中華料理 徳武」です。
▲落ち着いた雰囲気が伝わってくる外観です。通りからはちょっと奥まっていて目立ちませんが、地元ファンの多いお店。夜の利用は、事前に予約しておくのがよさそうです。
「DSG STAND」は、錦糸町で長年親しまれた名店「中国酒家 大三元」(2023年10月末閉店)で名物だったシュウマイほかの味を、テイクアウトとイートインで受け継ぐお店でした。
そして、こちら「中華料理 徳武」のオーナー、実は「大三元」で27年間修業したシェフ。2024年4月に「大三元」の味を引き継いでオープンしました。
▲外観と同様、店内もシックな雰囲気です。写真の奥側に6人席と4人席、手前は4人席が3ブロック。合計22席の小ぢんまりと落ち着いた空間となっています。
まずは、瓶ビール(中瓶・750円)で喉をうるおします。ビールに合うつまみは、こちらでしょう。
▲「中華風冷ややっこ」(800円)。ピリ辛の肉あんがたっぷりかかっています。盛り付けも容器も、大衆中華とはひと味違うぞ。そんな気分にさせてくれます。
▲もう1品は「焼売」(4個・800円)にしました。「大三元」でも名物だった歯ごたえと肉汁が、しっかりと楽しめます。
▲「ドラゴンハイボール」(650円)は、紹興酒の炭酸割り。とても飲みやすい口当たりでした。まだ早い時間帯でしたが、次の予約客来店予定もあり。シメの食事にしましょう。
注文したのは、これまた「大三元」時代からの名物「汁なしラージャン麺」(1,400円)。まず目を見張るのが、その姿です。
▲大量にトッピングされたカイワレ大根。見ているだけで口が辛くなってきそう。一方、ラージャン(辣醤)麺は少し甘めでマイルドな味わいです。肉みそが麺によく絡んでいて、カイワレ大根の辛さやシャキシャキ感との相性が抜群。さらに、澄んだスープが口をさっぱりとさせてくれます。
以前訪れた「DSG STAND」。そして今回の「中華料理 徳武」。名店「大三元」が、実は2つの流れで復活しているのだ。そんなことが分かって、大満足でお店をあとにしました。
今日のさんぽ を振り返って
すみだの地にちなんだ、富嶽三十六景のうち3作。その最後のさんぽで訪れた「御厩川岸より両国橋夕陽見」でも、やはり北斎は単なる写実以上の〝ひと手間〟をかけて構図していたことが実感できました。
北斎が眺めた(1830~1832年頃の作)渡し場からの両国橋。荷風さんが(長期の外遊を挟んで)変容ぶりを嘆いた2つの両国橋。そして今日、水上バスの行きかった両国橋。
約200年の時の流れの中で、隅田川岸辺の「ベルリンブルー」の波が、それぞれの両国橋を臨みながら〝ちゃぷちゃぷ〟と揺れる様子がシンクロしてくるような気分でした。では、皆さんまたお会いしましょう・・・。
