今年2024年7月3日に新デザインへと変わった紙幣(日本銀行券)。新千円札に描かれた人物は北里柴三郎ですが、裏面はどうなっているでしょうか?
▲(表面)(裏面)ともに[出典]独立行政法人国立印刷局サイト「新しい千円札について」。 裏面は、「富嶽三十六景(神奈川沖波裏)」。江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎の代表作で、とても有名なデザインです。
実は、先代の千円札裏面にも富士山(本栖湖からの眺め)が描かれています。お札の裏面は、意外と見ないものかもしれませんね。
すみだに生まれ育ち、生涯の大半をすみだで過ごした浮世絵師の葛飾北斎。すみだの誇る偉人の1人です。今回は、そんな北斎ゆかりの地をさんぽしてみようと思います。
まずは「すみだ北斎美術館」へ。【第20回】でさんぽした「津軽藩上屋敷」跡の一角でした。
▲新千円札への図柄採用に連動して、「特別展 北斎グレートウェーブ・インパクト-神奈川沖波裏の誕生と軌跡-」(2024年6月18日~同年8月25日)を開催。あのインパクトある作品、海外では「グレートウェーブ」と愛称されているのですね。
浮世絵にとても造詣の深かった永井荷風さん。随筆『江戸芸術論』(1920年刊行)内「泰西人の見たる葛飾北斎」で、「今その重(おも)なる制作中殊に泰西人の称美するを掲ぐれば・・・」として「富嶽三十六景」は「北斎漫画」に次ぐ第2位だと指摘。泰西人とは西洋諸国の人のことで、「グレートウェーブ」など古くからの高い知名度が偲ばれます。
常設展示室の最後にある「北斎のアトリエ」。描画する葛飾北斎の姿がとても精巧に再現され、今にも動き出しそう。いつ見ても迫力満点でした。隣接する「緑町公園」の一角にある解説板から、北斎はこの周辺で誕生したことが分かります。公園のベンチでひと休みしていきましょう。
▲美術館1階の売店で「北斎ゴーフレット」(12枚入、540円)を購入。図柄(味)は3種類で、右下から時計回りに「凱風快晴」(バニラ)、「神奈川沖波裏」(チョコレート)、「甲州石班澤」(抹茶)です。近くのコンビニで買ったトロピカルティーと一緒にいただきました。
次に、北斎が描いたスポットへ向かいます。
やって来たのは、すみだの南西端エリアの「二之橋」。清澄通りと竪川が交差し、竪川の上には首都高速・小松川線の高架が通っています。橋の北西側に2つの解説板がありました。
▲右側の解説板が、葛飾北斎「富嶽三十六景」のうち「本所立川」です。富士山(富嶽)をいろいろな場所やアングルから描いた有名なシリーズ。この解説板は(材質のため)反射して見づらいので、解説板に記載されたQRコードから読み取れる解説内容をご覧ください。
解説板のある場所辺りからこの浮世絵と同じ方向の今の姿は、こんな感じです。
▲川の南側にはマンションやビルが立ち並び、川の中や上部には首都高速の高架が。かつては富士山が眺められたような雰囲気は、まったくありません。
先程の写真の2枚の解説板のうち、左側のほうも見てみましょう。
▲橋の名の数字は、隅田川に近い順番なのですね。この解説板の中の浮世絵(1871年)の右端辺り、三之橋と二之橋との間にも川面に浮かぶ材木や材木問屋の様子が見えます。
「富嶽三十六景」の描写ポイントは、当時の江戸各所も少なくありません。遠景をさえぎるような高い建物等もなく(空気も今より澄んでいて)、江戸の日常風景のひとコマに富士山があったのでしょう。ちなみに、すみだを描いた富嶽三十六景は、本所立川を含めて3作あります。
ところで、二之橋のすぐ東側で竪川の南側の町名は、立川(たてかわ)。その地元に住む知人から、こんな話を聞いたことがあります。~「立川地区の氏神様は亀戸天神。すごく離れているし、墨田区内ではなく江東区にある。どうしてなのかよく分からないけど・・・」。
地図で確認してみると、二之橋から亀戸天神は直線距離でも2.5kmくらい。歩くとおそらく40~50分くらいかかるでしょう。「氏神」は地元に根付く神様で、それを地元の「氏子」が信仰して支える。そんなイメージからはほど遠い距離感で、とても不思議ですね。
その謎は、そもそも今の本所地区が誕生した時代にまで遡ります。【第20回】すみだの「津軽屋敷」の話題で掲出した表を再掲(一部カット)しておきます。
隅田川以東の本所エリア南部は、かつては人もほとんど住んでいない低湿地でした。埋め立てや運河開削(竪川や大横川など)で整備した〝新開地〟には、武家だけではなく町人も移住してきました。
そして亀戸天神(亀戸天神社、亀戸天満宮)は、上記の本所エリア南部の整備と並行して徳川幕府が土地を寄進して1662年に造営。新たに生まれた広大な〝新開地〟全体の鎮守神として(幕府のサポートのもと)誕生したのです。
江戸時代末期(1860年)のものですが、「江戸名所一覧双六」という絵図があります。日本橋を起点/終点にしたものですが、江戸東方の上空から町を俯瞰して描かれたもので、とてもビジュアル。その中から本所エリアを抜粋したものがこちらです。
▲絵図の右側が北の方向です。絵図の左半分の本所エリア南部全体の中で、神社として亀戸天神の存在感が際立っています。また、寺院として回向院が今と同じ場所に見えます。こちらは明暦の大火の犠牲者を弔うために、やはり徳川幕府の土地寄進により1657年に開設されました。
広大な〝新開地〟に、現世の人(移住者)の生活鎮守のために亀戸天神が、亡くなった人の慰霊のために回向院がそれぞれ、「街びらき」に合わせて開設された。大規模で計画的な江戸時代の「街づくり」の姿勢や理念が感じられますね。
ちなみに、本所エリア北部(埋め立て等以前から集落があった)では、絵図の中央右端部に見える「牛御前(牛嶋神社)」(860年創建)が鎮守神でした。その後、隅田公園造成のため今の場所に移設されています。
こういった経緯から、立川地区のようにかなり離れたところでも、亀戸天神と氏神・氏子の関係に。また、元々の本所エリア南部が今の墨田区と江東区に分かれたのは、明治期以降のことに過ぎません。以前から同じエリアだったわけです。
逆に、亀戸天神が創建される前から周辺には集落があって、別の神社が氏神だったようです。亀戸天神の社務所にお聞きしたところ、氏子地域は神社周辺の江東区亀戸(町名)以外は次の墨田区各町とのことでした。【太平の一部、錦糸の一部、立川、菊川、江東橋、緑の一部、両国の一部】
大昔の氏子地域の区割りは今の町会とは一致しないケースもあり、同じ町会でも氏神が違う場合があるそうです。別の日に、亀戸天神を訪れてみました。
▲東京スカイツリーが近くに。今では区が違うとはいえ、同じ本所南部エリアであることが実感できます。
▲境内の何箇所かに氏子町会のための神輿庫(長屋状)があり、町会ごとに扉が設けられています。
▲神輿庫の一角には、二之橋近くの竪川(立川)一丁目町会のスペースもありました。どの扉にも祭神・菅原道真ゆかりの梅鉢紋が記されていますね。
竪川を三之橋で越えて北上し、三ツ目通りから少し西側に入ったエリア。マンションやビルが立ち並んでいますが割合と静かな一角に、「どんぐり」を発見。お好み焼きともんじゃのお店です。
▲お店脇の置き看板には「もんじゃ」の表記もありました。
▲清潔感のある店内。テーブル席が並び、奥にはカウンター席(その奥にキッチン)があります。
まずは瓶ビール(600円)を。お好み焼きは、店のおススメの1つ「海鮮五目天」(980円)を注文しました。
▲早い時間で空いていたため、ご店主が焼いてくれました。今の店舗は新しめですが、ご両親の代から約30年の歴史がある地元の老舗だそうです。
▲お好み焼きの焼き上がりまで、コンビーフ(660円)をおつまみに。焼いてもおいしいよと教えてもらったので、鉄板で焼いて食べました。
▲おいしそうに焼き上がったお好み焼き。プロに焼いてもらうと、食欲が一段と高まります!
▲次のお酒は「ふるふれ抹茶ハイ」(550円)をいただきました。お好み焼きのソースの甘さと抹茶のホロ苦さがなかなかの相性でした。
お店があるところは緑3丁目ですが、やはり氏神は亀戸天神。かなり遠いので、神輿の移動のうち片道は、人が担ぐのではなくトラックで運ぶ。そんな地元ならではの話も聞けて、おいしいお好み焼きともども良い思い出になりました。
新千円札の裏面図柄に採用されたことで、葛飾北斎とその出身地のすみだが改めて注目されています。「富嶽三十六景」に描かれた本所立川の今昔の姿のコントラスト(ギャップ?)も、なかなか味わい深かったです。
そして、亀戸天神と(かなりと離れた)本所南部エリアの不思議な氏神・氏子の関係。立川地区に住む知人の話をきっかけに、江戸時代初期まで遡るこのエリアの歴史を改めておさらいすることができました。
富嶽三十六景に登場するすみだの地。あと2つのスポットも、続けて訪ねたいと思います。では、皆さんまたお会いしましょう・・・。
※営業時間・定休日は変更となる場合あり。来店前に電話等で確認してください。
どんぐり 東京都墨田区緑3-7-20 TEL:03-3632-7917 営業時間:18:00~22:00 定休日:木曜
上野 慎一(うえの しんいち)
1957年生まれ。横浜市出身。1981年早稲田大学政治経済学部卒業。2015年にサラリーマンリタイア後、暮らしや経済に関するネット記事を執筆。「人生は片道きっぷの旅のようなもの」をモットーに、お城巡りや居酒屋巡りなど全国あちこちの旅を楽しんでいます。