皆さん、マンガはお好きでしょうか。日常生活の中でとても身近な大衆性のためか、文学や絵画などに比べて「芸術」としては立ち位置が低い。そんなイメージに一石を投じたのが、2022年2月に報じられたニュースでした。
日本芸術院は、芸術各分野の優れた芸術家を優遇顕彰するために設けられた国の栄誉機関。その対象分野に「マンガ(第十分科)」が新設され、2人のマンガ家が初めて会員に迎えられたのです。いわばマンガが「芸術」として公認されたような印象でした。
2人のマンガ家は、ちばてつや(1939年生まれ)とつげ義春(1937年生まれ)です。ちばは代表作の1つ『あしたのジョー』をはじめとして多作(今でも連載作品あり)。一方、つげはシュールな内容の短編『ねじ式』などマニアックなファンも少なくない作家ですが、寡作で実は絶筆(休筆)して以来37年にもなるという〝奇才〟です。
この2人、ともに若き10代でマンガ家デビューしていますが、実はすみだとの関わりが結構深いです。ちばは学齢期の大半をすみだの地で過ごし、両国にある日大一高を卒業。また、つげは20代の時期の多くを錦糸町にあったアパートで暮らしました。
今回は、つげ義春の住むアパートがあった辺りの、当時と現在の対比からスタートしましょう。まずは、月刊誌「東京人」に掲載された写真とマンガの1シーンを見比べてください。
同一と思われるアングルから見た現在の様子は、次のようになります。
マンガのほうの時点から起算すると65年! 光景が様がわりしているのも当然なのでしょう。
近著『つげ義春が語る マンガと貧乏』(筑摩書房 2024年6月刊、過去のインタビュー記事を集成したもの)内「自作周辺のこと」の中では、つげが当時の付近の様子を次のように回想しています。
住んでいた下宿(アパート)が「北浦パネル」工場のすぐ裏にあった、工場は使用済の木製電柱を切って板状に加工(コンクリートを流し込む型枠材として再利用する)していた、アパートの住人の大半は町工場の工員だった。そしてアパートの近隣には、窯でレンガ製造する工場、溶鉱炉を焚く製鉄所、鍛冶屋などがあった。~すみだが〝ものづくり〟の町として活況だった時代の躍動感が伝わってきます。
そして、つげの作品群をモチーフにした映画『雨の中の慾情』(片山慎三監督)が、今年2024年11月29日に封切り予定です。
つげの同名短編作品もあるけれど、実はつげの錦糸町在住時代の様子や経験などが色濃く反映された作品『隣りの女』や『池袋百点会』が主要なモチーフになっているはずだよ。~私の知人のオジさん(つげの大ファン)からは、そう聞きました。
[参考資料]
映画.com「作品情報」~「雨の中の慾情」
https://eiga.com/movie/101701/
「北浦パネル」工場のあった辺りの一角に、「PERK SHOP(パークショップ)」を発見。ひと休みしていきましょう。
古い地図で確認すると、こちらは先ほどのつげ義春の回想で「窯でレンガ製造する工場」があったところのようです。
この空間を埋める様々な機能を通して、何気ない日常を明るく彩る。かつて町工場があったスポットにオープンしたショップのメッセージには、とても共感できる思いがしました。
大横川親水公園を南下して、京葉道路(国道14号線)と交差する辺りに向かいます。「東京都立両国高校・附属中学校」の東側のエリアには、大きなタワーマンションや小ぢんまりとしたオフィスビルが建つ一角がありました。
同社は、創業者の父が伊豆韮山の反射炉で江川太郎左衛門に師事して大砲の製造技術を習得した縁から金属鍛冶(金属加工)をルーツとした、歴史ある企業です。2016年に製造業から撤退して、総合不動産業に業態を大きく転換。社名も「アライプロバンス」と改称されています。
上記の写真に近いアングルで、昔の様子を伝える写真がありました。
太平洋戦争の空襲にも耐えた当時の本社ビルのその後の姿は、くっきりとした写真で残っています。
永井荷風さんが、戦時中から戦後にかけてとても親しくしていた実業家・相磯凌霜(あいそりょうそう)。実はこの人、新井鉄工所の重役を務めていました。重役といっても、当時の新井社長の〝相談役〟とか〝顧問〟のようなポジションだったようですが。
この相磯を軸にして、新井鉄工所と荷風さんの接点があった。月刊誌「東京人」(2022年10月号)にそんな内容の記事が掲載されたことを、アライプロバンスがニュースリリースしています。
[参考資料]
KYODO NEWS PRWIRE「株式会社アライプロバンス 2022年9月16日リリース
「東京人」10月号に掲載されました」
https://kyodonewsprwire.jp/release/202209206758
この記事の中から、荷風さんや相磯たちの写真の箇所を拡大・摘出してみましょう。
このニュースリリースの記事内でも触れられていますが、「午後島中高梨両氏写真師を伴ひ来話。錦糸堀新井工場に相磯氏を訪ふ」。荷風さんの代表作日記文学『断腸亭日乗』の1954年5月19日の記述です。
総武線の線路を挟んで場所はやや離れますが、先ほどのつげ義春ゆかりの「北浦パネル」工場周辺と同じように、往時にはこちらでも〝ものづくり〟の町としての活気が息づいていたのですね。
今回冒頭のつげのマンガの風景と上記の荷風さんの写真、実は5~6年以内の〝同時代〟だったのです。そんなことが分かって、大きな発見でした。
大横川親水公園を北上して、北斎通りを西側に少し歩くと、「DSG STAND」がありました。少し早めの時間帯ですが、軽く晩酌をしていこうと思います。
まずは、瓶ビール(700円)で喉をうるおします!
テイクアウトのお客さんも、次々とやってきます。イートインも含めて、気軽に立ち寄れる形で名店の味を復活させた。そんなところに、未来に向けた新しい動きを感じました。
かつて、すみだのあちこちにあった〝ものづくり〟の拠点。その往時の姿と現在の様子。懐かしさを感じさせるマンガや写真を交えながら、2つのスポットをさんぽ。すっかり様がわりしてしまったことを、とても実感できました。
そして、由緒ある鉄工所が総合不動産業に転換したり、閉店した名物中華の味を新しい形で復活させたり。古いものを一旦リセットするけれど、時代に合わせた姿で再スタートする。最初に取り組みを始めたときの〝進取の精神〟が脈々と受け継がれていくようで、嬉しい気持ちになりました。では、皆さんまたお会いしましょう・・・。
※営業時間・定休日は変更となる場合あり。来店前に電話等で確認してください。
DSG STAND 東京都墨田区亀沢3-14-15 1F TEL:050-1035-2847 営業時間:月曜~土曜 12:00~16:00 17:00~22:00 定休日:日曜・祝日
上野 慎一(うえの しんいち)
1957年生まれ。横浜市出身。1981年早稲田大学政治経済学部卒業。2015年にサラリーマンリタイア後、暮らしや経済に関するネット記事を執筆。「人生は片道きっぷの旅のようなもの」をモットーに、お城巡りや居酒屋巡りなど全国あちこちの旅を楽しんでいます。