墨田区の南西部、竪川が隅田川に合流する地点の少し手前に「塩原橋」が架かっています。近くに店を構えた江戸時代の商人の名にちなんでいるようです。店の跡や橋に建つ解説板には、ちょっと気になる戯れ歌(ざれうた)が記されていました。
その歌は、「本所に(は)過ぎたるもの(が)二つあり、津軽屋敷に炭屋塩原」。後者の炭屋塩原とは、「塩原太助」のことです。
塩原橋の様子も見てみましょう。
「過ぎたるもの」のうち「炭屋塩原」のことは、状況が分かりました。では、もう1つの「津軽屋敷」とは、どういうことなのか。まず、江戸時代の武家屋敷地とはどんな状況や位置付けだったかを、簡単にまとめてみました。
すみだの本所エリアは、武家屋敷の立地としてはいわば〝新開地〟として発展してきたのですね。こうした状況を覚えておいていただいて、次の「江戸切絵図」をご覧ください。
赤色破線のマルで囲まれた大半が「津軽越中守」、つまり津軽(弘前)藩の屋敷です。上屋敷は、周辺の各屋敷と比べてもひときわ大きく感じられます。上屋敷の近くに中屋敷が2ヶ所あり、かなり右側(東側)に離れた亀戸天神の北隣りには、一段と広大な下屋敷も確認できます。
幕末期に津軽藩下屋敷となったキャプションのある「土岐豊前守」屋敷周辺は、次回でさんぽする予定にしています。
本所エリアに上・中・下の各屋敷がそろって全部あるのは、実は津軽藩だけ。また、家紋が表記された上屋敷としては、図中でも一番右側(東側)で、江戸城からは一番遠くにあるようです。「御府内の(または御府内も)東のはては津軽なり」。~江戸川柳では、こう詠まれてもいます。
武家屋敷ゾーンとしては〝新開地〟だった本所エリア。その中でひときわ目立つ存在感が、「過ぎたるもの」としてあがめられたのだと推察されますね。ちなみに津軽藩の上屋敷は、もともとは今の上野公園の山にあり、神田小川町を経て本所には1688年に移転してきました。
縮小した「江戸切絵図」では、その広さがあまり実感できないかもしれません。では、現在の地図で見ると、上屋敷の範囲はどんな感じなのでしょうか。
やってきたのは、津軽藩上屋敷跡地全体の南西端のちょっとだけ西側。京葉道路(国道14号線)に面したところです。
この連載【第19回】で、墨田区八広5丁目にある喫茶店(レトロな外観なのに2023年6月にオープンしたばかり)を訪れた時の記憶がよみがえりました。地元で長く親しまれた喫茶店が閉店した後、今のご店主が引き継ぎ。古き良き空間が、時代と人をつないで受け継がれていくことに幸せさを感じましたっけ。
実は、こちらも地元で親しまれたコーヒー店が2022年9月で閉店。その跡を地元のミニチェーンが引き継いだようです。
すっきりとした雰囲気の店内には、ジャズなどのBGMが静かに流れていました。たっぷりのコーヒーをゆっくりと楽しんで、身も心もリフレッシュできました。
京葉道路沿い東側に少し戻れば、(京葉道路も含めて)また津軽藩上屋敷跡地です。京葉道路に面したマンションの敷地内に、こんな解説板がありました。
永井荷風さんが敬愛した文豪・森鷗外は、1922年7月に亡くなりました。その遺作全集の編纂に荷風さんも参加することになり、1923年5月17日に遺作の1つとして読んで感銘を受けたのが『渋江抽斎』。津軽藩の藩医や儒学者(江戸在住)をつとめた人物、そしてその家族の伝記的作品。津軽藩屋敷に関する記述も随所に見られます。
「鷗外先生の抽斎伝をよみ本所旧津軽藩邸附近の町を歩みたくなりしかば、此日風ありしかど午後より家を出づ。津軽藩邸の跡は今寿座といふ小芝居の在るあたりなり」。~代表作日記文学『断腸亭日乗』1923年5月20日の記述です。思い立ったら、風が吹こうがすぐに出向く。そんな荷風さんの〝行動力〟が偲ばれます。
上屋敷跡地全体の北東端に戻って、「野見宿禰(のみのすくね)神社」に立ち寄ります。
今日も、たくさん歩きました。近くにある「地球屋」で晩酌をしていきましょう。
上の写真で店内に地球儀が見えます。店名の由来は、フレンチ出身のオーナーシェフですがフレンチにこだわらない多国籍な料理を提供したい思いからだそう。夜はビストロ風に洋食主体ですが、ランチではスパイスカレーやリゾットも楽しめます。
ちょっと待ってください。確か「3種類」の盛り合わせのはず。でも、付け合わせのバゲットを除いても5種類あるのでは。スタッフの方がニヤニヤしながら「だいたい、いつもこんな感じですよ・・・」。嬉しいサービス精神のようです。
次のお酒は、カクテル「オペレーター」(白ワイン+ジンジャエール、600円)にしました。料理のシメは、こちら。
気さくな男性スタッフお2人で切り回すビストロ風のお店は、以前に洋食屋やスペイン料理屋があった場所を引き継いで進出。今年3月に開店1周年を迎えました。お店の入口に見える地球儀のように、世界のいろいろな味わいをクルクルとこれからも気軽に楽しませてくれることでしょう。
この連載【第10回】で、「吉良邸跡地」を訪れました。公園となっているところは少々狭い感じでしたが、実際の敷地面積は約8,400㎡。墨田区役所と隣のすみだリバーサイドホールを合わせた敷地面積にもひけを取らないくらいの広さでした。
しかし、今回の津軽藩上屋敷跡地の面積は、広大と思えた吉良邸跡地のさらに3倍以上の規模なのです。大名(津軽家)と旗本(吉良家)の違いはありますが、いずれにしても江戸時代の武家屋敷のスケールの大きさを改めて実感しました。
次回は、続いて墨田区内の別の「津軽屋敷」の名残りやその周辺をさんぽしようと思います。では、皆さんまたお会いしましょう・・・。
※営業時間・定休日は変更となる場合あり。来店前に電話等で確認してください。
地球屋 東京都墨田区亀沢1-3-8 TEL:03-5637-8850 営業時間: 11:30~14:30(L.O14:00) 17:30~22:30(L.O 料理21:30、ドリンク22:00) 定休日:火曜(祝日の場合 翌日)
上野 慎一(うえの しんいち)
1957年生まれ。横浜市出身。1981年早稲田大学政治経済学部卒業。2015年にサラリーマンリタイア後、暮らしや経済に関するネット記事を執筆。「人生は片道きっぷの旅のようなもの」をモットーに、お城巡りや居酒屋巡りなど全国あちこちの旅を楽しんでいます。